外的動機でなく内的動機で生きる。
何も混じりっけのない、自分だけの為の動機で行動することって
どのくらいあるだろう?
そして今までの人生で自分の意思、気持ちだけで行動した出来事
がどんなもので、結果どうだったか?
思い出してみた。
なぜこのように思ったかといえば、
「外的動機付けで生きたきた人は30代後半から生き詰まりやすい」と
ある心理学カウンセラーが言っていたのを耳にしたから。
他人軸、自分軸なんて言葉を最近よく耳にするが、
たぶん同じようなことで、自分以外の外的な動機で生きてきた人は
人生が見失いやすいのかも?ということ。
そもそも自分の軸を育ててこなかったから。
私の場合、子ども時代は親の顔色みていかに機嫌よく過ごして
もらうかが自分の平和に直結していたから。
こうして振り返ると、自分の意思で行動したことは
沖縄に移住した事と、沖縄移住から関東へ戻った事。
これらは、
まじり気のない100パーセント自分だけの気持ちで
行動した事柄。
そう思うと、自分軸で行動したことは全て後悔がなく
良かった☆と思えることだけだ。
どこかで、自分以外の誰かの事を考慮したり
どこかそんな気持ちがあると結果違うのかもしれない。
結婚は1人から2人へ二人称に人生がなるんだと思ってきた。
しかし、ホントは違う、
別々の道があって、そこを歩調をあわせつつ、隣の道を別々に歩くみたいな
ことなのかもしれないと気が付いた。
夫はずっと一人称だった。休日の予定は相談なしに事後報告
あわせるかどうかは私次第。
私は休日は一緒に家族が過ごすものだと思って生きてきたから
事後報告なのも色々戸惑い、寂しい気持ちがしてしまうけれど
きっと人生はそういうものなんだろうな。
かといって、じゃあ何がしたいの?一人でもしたいことって?
と自分で自分に聞いてみると、
そこまでの熱量のあるやりたいことが浮かばない。
これが、きっと外的動機付け、他人軸で生きてきた人の
生きづらさなのかもしれないと思った。
今からでも自分軸でいきようと、
日々、少しづつしているところ。